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宮崎県はかつて鹿児島県だったの!?【今月の勉強会】(2丁目タイムズ 2023.11月号)

2023.11.30

11月11日に行われた定例の勉強会では宮崎市教育委員会文化財課の井田課長をお招きし、宮崎県の成立に尽力したお二人の偉人についての講義をして頂きました。実は明治6年(1873年)に置かれたばかりの宮崎県は3年後の明治9年(1876年)に鹿児島県に合併されてしまいました。その背景は明らかではありませんが、歴史の本でよく目にする大久保内務卿(大久保利通、旧薩摩藩士)にしてみれば「日向(宮崎)は薩摩の属地」ぐらいの考えしかなかったようです。しかしながら宮崎市清武町出身で幕末を代表する儒学者である安井息軒(1799~1876)と彼に多大な影響を受けた同じく宮崎市清武町出身の政治家、川越進(1848~1914)が尽力し明治16年(1883年)に宮崎県が再置されます。川越進は明治10年に起きたあの西郷隆盛が主役の西南戦争に消極的ながら従軍しましたが、明治13年(1880年)に鹿児島県会議員になって後に、宮崎県分県に向けた絶え間ない努力を続けた結果でした。実は川越進をはじめ宮崎県再置に影響力を及ぼした秋月種樹(アキズキタネタツ)、三好退蔵、渡辺昇といった多くの人物は安井息軒が開いた私塾「三計塾」の門下生でした。安井息軒は幼少の頃、天然痘に罹り、片目がつぶれた容貌になりながらも父の影響を受け学問を目指し、後に江戸に移住して苦労しながら、私塾「三計塾」を開きました。彼の門下生は推測では全国に2000名余りと言われ、彼の教育力の高さはずば抜けていました。宮崎県が再置されて今年で140年になるそうですが現在の宮崎県は安井息軒、川越進らがその礎を作ったのは間違いありません。

安井息軒
川越進