logo

2丁目タイムズ

最新情報
イベント

隈研吾講演・シンポジウム記念特別号(2024年7月号【号外】)

2024.08.01

世界的建築家の隈研吾氏をお招きして、7月13日に開催した「『神戸三宮の未来を考える』建築家隈研吾講演会・シンポジウム」(三宮センター街2丁目商店街振興組合主催、KOBE三宮・ひと街創り協議会共催)は、大盛況のうちに幕を閉じました。隈氏は、街づくりに重要なのは人間らしさと自然を感じることだと語って下さいました。シンポジウムでは、高知・梼原の吉田尚人町長、久元喜造・神戸市長、久利計一理事長が加わり、藤井淳史副理事長のコーディネートのもと、神戸・三宮の将来像に迫りました。コロナ禍のため、最初の計画から3年越しで実現した集いは、街衆の力で実を結びました。

隈研吾講演・シンポジウム当日、会場の中央区文化センターには、抽選による240人のお客様が早い時間からお見えになりました。開場は予定を25分早めて13:05に。建築の世界を目指しているという神戸の女子高生、午前中の試合を済ませて岡山から来られた高校球児……そんな若い隈氏のファンの姿もありました。今回、1300人超のご応募をいただきましたが、抽選に漏れた方々に向けてライブ配信も試みました。ホールの外のモニターでは、70人ほどの皆様にご覧いただけました。

隈氏は、ご自身と三宮の街衆との縁、三宮の街衆が梼原を訪れた縁に触れ、さまざまな縁が重なって「今日」を迎えたと、講演を切り出しました。梼原と神戸をつなげるのは「ヒューマンなまちづくり」。「梼原町に行ったことのある方は?」との問いには、客席からも十数人の手が挙がりました。

21世紀のまちづくりのキーワードは、「ヒューマン」と「自然を感じること」だと言います。隈氏が大きな影響を受けられた「ゆすはら座」、現在梼原にあるご自身の手掛けた5つの建築物、東日本大震災後の宮城・南三陸町の復興や仏パリのサン・ドニ・プレイエル駅など国内外のプロジェクト……隈氏は一つ一つ、スライドを映しながら、具体的に説明してくださり、お客様はぬくもりある作品群に見入っていました。今、世界は木を使う風潮にあり「自然を感じさせるあたたかい、やわらかいものに人は集まる」そうです。そして、歩いて楽しいことが世界の街の目標だといいます。そんな街が、三宮で実現できたら素敵だと仰いました。そして、梼原、神戸とつながって、面白いことができたらいい、と。

隈研吾氏続くシンポジウムは、吉田町長に梼原の現状を伺うことから始まりました。吉田町長は目に浮かぶように自然豊かな地元の風景を話された後、「隈氏の建築群が梼原の自然や街並みに溶け込んで一体感を生み出し、山の中に落ち着き整った雰囲気が生まれています」と表現されました。国内外から、人々が建築群を訪れ、その一つ「雲の上の図書館」には昨年12万人の入場があったそうです。「若者やこどもたちに自信、誇りが徐々に生まれているのではないか。いつか梼原に戻り、あるいは外から支えるといった思いにもなってくれるのではないか」そんな未来への期待が感じられると言います。

久元市長は、隈氏が講演の中で「ヒューマン」という言葉を繰り返されたことに触れ、神戸の街も共有していると語りました。その対局は「高層マンションが林立する街」であると。三宮では、グルメ、ショッピング、アートシーンを回遊して楽しむ街を目指して、様々な事業が進んでいると紹介されました。一方、自然との共生を梼原にまだまだ学ばねばならないとも。隈氏も、市長の考え方に「超高層マンションじゃないということが、神戸らしさを保つ秘訣。ヨーロッパでは高いものを避けたところがキャラクターを維持して生き残っているような気がします」と答えました。藤井副理事長が「(梼原と神戸で)コラボレーションできるのではないか。隈さんにコーディネートしていただければバッチリじゃないかと思います」と語ると、壇上、客席とも笑顔に包まれました。

久利理事長は「梼原町や隈さんとのご縁ができたのは、『外交』の成果」と評しました。「大変親密になることでご縁が出てくる。市長に『神戸気質』ということをよく申し上げるのですが、誠実にものにあたっていけば道は開けます」と。また、自身の梼原訪問を振り返り「街は大きさではなく、分散させて小さく削り、声を結集することが大切」と語りました。隈氏も、大きな街では、SNS・ネットの世界になって人のネットワークを作るのが難しいと仰いました。「解決の鍵はストリートの復活。人間がすれ違い直接顔を合わせる。神戸だから可能だと信じたい」と続けました。「自然がリアルに感じられる面白い地形に文化を作り、場所性を活かしてつなげた。震災というある種の試練にあわれたが、どうやって再生していくか。今回のイベントがきっかけになってくれるとうれしいです」とも。

隈研吾氏

終盤、藤井副理事長は、今回の講演会・シンポを企画した背景を紹介しました。「老朽化に伴う建て替えで、センタープラザなどのビルを木造にしたい」という久利理事長の思いに、会場から拍手が出ました。久利理事長は、神戸空港の国際空港化や、スタジオガラスで有名な姉妹都市シアトルとのガラス交流のビジョンに触れながら「飛行機で神戸へ降りてきた時に、六甲山を背負った3棟の木造のビルがある。それが単なる商業ビルじゃなく、人が集う文化や防災の拠点になる。行政に任せてしまうのではなく、給水やスマホの充電ができる場所にする」という具体的なイメージを熱く語り「隈さんにご指導を賜ればと思います」と続けました。隈氏は「世界ブランドの神戸に、国際線で、六甲山を見ながら着陸する。そこにヒューマンな街がある。山と海のデザインがすごく重要になってくると思います」と語りました。藤井副理事長が「みなさん、すぐにでもできるんじゃないかとワクワクされているのでは」と会場に向けると、客席も沸きました。
「建築家は神に次ぐ」――久利理事長は、感謝の気持ちを込めて、懇意にされた洋画家鴨居玲さんの言葉を隈氏に贈り、シンポは閉会しました。
隈氏は、終了5分後には会場を後にし、中国出張のため関西空港へと向かわれました。久利理事長はじめ、皆さんでささやかな花道を作り、お見送りしました。閉会後はロビーで隈氏の書籍を販売。隈氏のご好意でサイン本も100冊ご準備できまして、売り場に長蛇の列ができました。隈氏のサインを掲げて、ポスターと記念撮影をされる方の姿もありました。

隈研吾講演・シンポジウム

今回のプロジェクトは「14時開演・16時終了時間厳守」という厳しいスケジュールでしたが、無事にこなせたのは、皆様が役目を全うし、絶妙な連携プレーをした成果でしょう。そもそも今を時めく「隈研吾氏」が一つの街のプロジェクトを快くお引き受けして頂いた事自体が「奇跡」に近い事だと思っています。しかも準備段階でのコロナ禍を経ての開催でした。これは突然のひらめきから隈氏に講演を依頼し実現したものではありません。隈氏の事務所で働かれているスタッフのご両親が私達の街の一員だという幸運はもちろんありましたが、日頃から街で大切にしている「他の都市や団体との外交関係を大切にし、人と人との繋がりを重要視し、真心を持って接する」というポリシーを柱に据えているからです。
ネット社会である現在でもこういった地道な努力は決して古いやり方ではなく、人間関係を育て、街の発展に貢献していくものだと信じています。
改めて今回の講演・シンポジウムをお引き受け頂いた隈氏、そしてこの実現に向けた準備に奔走して頂いた関係者の皆様には深く、深く感謝申し上げますと共に、これからも街の発展にお知恵を拝借し、ご協力頂ければ幸いです。

2024年7月 編集者一同